手渡してゆくこと
2019年がはじまりました。
わたしの今年の書き初めは「花」でした。(昨年は「包む(くるむ)」)
ちょっとびっくり。あまり自分のなかにはない言葉。
何年も育てていたものが、ぽん、とひらくとき。
でも花は種から咲くまでの長い長い時間軸でみると一瞬の出来事なので、
今年、と言ってもたぶん夏至の頃まででしょうか。
そこからまた種になって、あたらしいテーマがはじまるのだとおもいます。
・・・
毎年、今年のやりたいことを紙に書き、声にだして読んでいます。
今年もみんなそれぞれ、思い思いに書いて読みました。
(一人でもいいし、誰かがいるとエネルギーが大きくなります。ちょっと恥ずかしいけれど)
年末に、来年のことを思い浮かべて、
自分のやりたいことを深く静かに見つめていました。
でてきた言葉は、「すべて手渡してゆく」ことでした。
今、わたしがもっているもの、やれること、できること、すべて差し出したいという気持ちが出てきました。
今までも受け取ったものは出していたつもりだったけれど、
学んだことではなく、直感でおろしているものではなく、もっとも自分に一番近い、
「自分が本来持っているもの渡したい」というものでした。
自分が持っているものをすべて手渡すことなんてできるのでしょうか?
でもわたしは、そういう気持ちでいるようです。
きっとそれは枯渇するのではなく、何かあたらしいものを受け取るために必要なことで、
もうその準備もできているのだろうとおもいます。
そのためにも、まずはごはんを食べて、仕事をして、今できることがやれるよう、健康でいられますように。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとっても健やかな一年となりますように。
(写真はお正月に森戸海岸から見えた富士山。あたたかい日でたくさんの人が眺めていました)