お月さまの唄
nanakoと出会ったのは、2年前の秋。
わたしが雑貨屋でお店番をしていたときに入ってきて、初めて会ったのに
「わぁ、わたしたち、ずっと前から友だちだったね。」と心の中で会話した。
そのときのnanakoは「ヨガをやっています。」と言っていたのだけど、冬至を迎えて、nanakoは小さな頃から閉じていたものが目覚めてしまった。
いろんなものが見えるようになって、龍や魂の絵を指で描くようになって、海で唄うようになって、半年ほどは「海にね〜〜龍がいてねぇ〜〜nanakoは龍でね〜〜〜」という会話(しかほぼない)になった。
これはわたしも赤ちゃんみたいにまっさにならないとnanakoとは会話ができないと思い、大人の会話とか、常識とか、普通と呼ばれる枠もなくなって、いつの間にか
「わぁーそかそかぁーーよかったねーやったねーー」というだけの会話?を会うたびに何時間もした。
(はたから見るとほぼ会話にはなっていないかんじ・・・)
nanakoの前では、いつもわたしは子どものようなわたしでいられる。
人に会うときにかぶる猫とか、気を遣うことばとか、nanakoの前では何の役にも立たない。
ほんとうの言葉しか、nanakoには伝わらない。
ちょっと話に合わせたり、自分の心と違うことを言うと変な空気になるので、nanakoとの会話は過去も未来もない「今」感じていることだけ。
「おいしいね、きもちいいね、かわいいね、たのしいね。」みたいな。
nanakoは唄でチャクラや魂を整えることもできるけど、そんなことをしなくてもわたしはnanakoといるだけでわたしらしくなれた。
それから2年経って、nanakoもわたしもどんどん変わって、こうして一緒にイベントまでできることになった。
ほんとうに奇跡みたいなこと。
1年前にもイベントをしようって話をしていたけれど、いつのまにか流れてしまった。
でも今年の初夏にnanakoが自分のアトリエを持って、会いに行ったとき、あぁもうお互いに大丈夫って不思議と思えたから、nanakoから「唄いたい!」とメールがあったときには、きっとうまくいくだろうというわくわくしかなかった。
わたしもちょうどアトリエが広くなっていて、準備は万端だったのだ。
・・・
nanakoのお月さまの唄はそれはそれは美しくて、やさしくて、穏やかで、のびやかで。
月の女神のようだったし、いつもより静かでまるい声はまるでゆりかごのようだった。
”ちいさなころの記憶を そっと しずかに すくうように”
わたしがお願いしたテーマ以上にやさしい唄をうたってくれた。
唄のあとは、nanakoとわたしのいつもの会話をみなさんに聴いてもらいました。
いつものようにたのしくて、ずっとおしゃべりしていたかった。
・・・
赤ちゃんのような生まれたての感受性を持ち、地球よりもっと大きな光ですべてを包み込んでくれるような、おんなのこ。
この世界は、闇を持つことより光を放つことのほうが怖いと感じている人の方がまだ少なくない。
いつかみんな光だけの存在になるのだけど、それはまだ、はじまったばかり。
ほとんどイベントの説明もなかったにもかかわらずいらしてくださったみなさま、ありがとうございました。
またいつか、nanakoから唄いたいと連絡がきたら、お知らせしますね。
お月さまのケーキと、梓ちゃんのnew moon teaと 、ほわほわの生きもの。